ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

例によってあいまいな記憶の話

弾さんが 累進課税の道理的根拠

勘違いしないで欲しい。私は累進課税そのものが悪いとは思っていない。ただそれを実施するにあたって、納得が行く説明が欲しいだけだ。

と言っておられる。

累進課税のせいで稼いでももっていかれるばっかりだよー」などという台詞を言う機会がこれまでもなく、これからもなさそうな私が書くのはなんだかなあ感があるが、逆にいえば累進課税の恩恵を受けている側の一人として、恩恵を受けても心を痛めないための論理? の話などをひとつ。

私がなにかで聞いた例によってあいまいな記憶の話だと、稼ぐ人は稼がない人より、世の中にあるリソース(例えば空気、水、電波、空間、その他様々なもの)の利用率が高いから、のような説明を聞いて納得していた。

例えばタレントは、稼ぐために自分の姿がテレビに映るには電波が飛んだり、私みたいな山奥の住人だとケーブルテレビの線の中を通ったり、という有限のリソースの一部利用する必要がある。そういうリソースは消費とその効果が定率かというとそうではないだろう。例えば全国ネットだと視聴者は大都市の方が多いだろう。また地方の方がインフラの単位あたりの単価は高いだろう。

すごく稼いでるネットショップはこの日記よりネットの帯域をさぞやたくさん使っているだろう。

じゃあ、資産運用で儲けた人は? と思ったのだけど、これも運用先がそういうリソースを使ったから配当があったり株価が上がったからだ、と考えると自分的に納得できる。(二重課税?)

そういう意味で言うと、すごく威勢のいい魚屋が「さー、いらっしゃい! いらっしゃい!」と大声を張り上げて、店先付近の音声リソースを利用しているにも関わらず、扱ってる魚が悪くて売れないため稼げず、結果的に納税されない、という状況は社会的リソースの無駄遣いということになるのだろうか?

などというよくわからないオチで終了。