ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

気付きがどんどんこぼれてゆく件について

日記を続けていると比較的長文が書けるようになったのは、想定外の効果だった。

もともと昔は1行日記みたいなものばかり書いていたのだけど、ある程度のボリュームの文章が書けるようになった。これはラッキーなことである。

しかし、長文を書こうと思うと、どういう風な出だしで入って、どんな風にシチュエーションを表現して、どういうオチにしようか、とか、一応考えてしまうので、それなりの心の余裕もしくは書かずにはいられないストレスが必要だったりするわけです。

最近は物事を考えるとき、自分の目の前にあるものを、自分の認識の最大レベルから見てみる、という習慣を持つようになった。そういう視点からものを見ると、普通に生活してる分には得てして物事はすべからく「大したことじゃない」という結論になる(私はこれを個人的に宇宙人的視点と名づけている。「人類が滅亡したんだって」「へー」)。こういう状態が良いか、悪いかは別として、今はそんな感じで生きている。

そんな風にいると、これまでになかった気付きが得られることが多くなった。が、その気付きはあくまで小さなもので、しかも充分に言語化できていないことが多い。で日記に書き留めたいと思うのだが、例えば
Windows 上で開発する際に IDE が重要なのは、Windows の UI が開発者のためにデザインされていないからであり、UNIX のそもそもユーザー=開発者というデザインと大きく異なるのは当たり前、という視点から、現状を改善するアイデアが出そうな気もする」
とか
IDE って結局、いかつい GUI版 make +αとちゃうの?」
とか、そんな1行だけの日記を書くのはなんとなく許せなくて困っていたりする。

気付きの数が多すぎて、しかもメモするほどには言語化できてなくて、もどかしい。「忘れるようなことはたいしたことじゃない」とか「本当に重要なことはそのときに思い出す」ということは経験上ない。ちなみに「気付き」を携帯メールに書いて送信しようとして、言語変換中に忘れてしまうことすらあります。

脳が新しいフェイズに入ったんですかね?