ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

活人剣あれこれ

おしょうさんからいただいたコメントにお返事しようと思ったら長くなったのでエントリにしてみます。

心の師である故クリシュナムルティは、一切を信じないという事を繰り返し述べています。

お借りしたクリシュナムルティの本が通勤中の読書本になってる ksh です。
昨日のエントリで「そもそもそういうベースラインを持つことが逆に苦しみの元になったりするのかもしれません」「というわけで一旦白紙に戻してみたり。」という風に最後に方向転換したのは、あの本もせいもあるかもしれません。まあ、あの本は2,3回読んで理解できるものでもないでしょうが。

で、活人剣について。
私の会の師範(教士7段)は、日本剣道形の2本目、3本目が「活人剣」だと言われました。
剣道形の1本目は面を斬り相手を殺める形ですが、2本目は小手を斬って命を奪わず戦闘不能にする形です。3本目は斬りません。気で相手を圧倒して戦意を無くさせる形です。この3本の基本ができたら初段です。(あと実技と筆記の試験があるらしい)。形のレベルで話をすると、命を取るか取らないかで分かれます。

もう一つ聞いた活人剣は「斬られた相手が自分が死んだことに気付かないような剣」でした。斬らねばならないなら、一瞬で、苦しませず、痛みも感じさせず、と。こちらは先生の個人的意見なのかどうかわかりません。

そもそも、戦いが起きる前に先手を打ってそれをふせぐ、という戦略的な意味や
今でいうネゴシエーターのような意味合いもあるようです。

個人的にはこのレベルになると政治の話で、武道の範囲ではないんじゃないかと思います。人格を高め、普通の人ではまとまらないことを、徳で解決するというのはあるかもしれませんが。

とりあえず私の会の先生方は、稽古場を確保するための苦労で地域の行政にグチをいうことはあっても、大なり小なり政治的な話は、飲み会の場も含めてほとんど聞いたことがありません。唯一聞いた覚えがあるのは「故橋本元首相は6段持ってたけど、政治家みたいな忙しい人が稽古するヒマがあるのか? そのへんはちょっと何かあるんじゃないか?」ぐらいでしょうか。ちなみに故橋本元首相の昇段審査が、一般の人と別の会場で行われたそうで「政治家を特別扱いとは何事か」という話をネットで見た記憶があります。

というわけで、活人剣いろいろありますが、今の私は、人を斬る前に、自分が生きなければならないので、当面はそっちにフォーカスしてゆくことになるかと思います。

しかし「永遠に生きるかのように夢を持ち、明日死ぬかのように生きよ」(ジェームス・ディーン)というゴールが遠くに見えて終わるような気がしないでもない今日この頃です。やべえ、この言葉読んだだけで涙出そう。