ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

歌の思い出

今の私の声から、小学校のとき、ボーイズコーラスでソプラノだったなんて、誰が想像できようか?
物語を読むのも好きだったし、音楽を聴くことも好きだったのに、歌に対してほとんど興味をもたずにいた。
今考えると、器楽に対し声楽は「人間の声という制約」の中で、物語に対して詩は「詩人が自らに課した制約」の中で作られることに対して不自由さを感じていたのかも、などと思う。今考えるとだけど。
中学のとき、超体育会系ブラスバンド部で先輩に怒鳴られていたある日、先輩の発する「音」は聞こえるのに「言っていること」がわからない自分に気がついたときのショックは、今でも鮮明に覚えている。そして私は部を辞めた。
もう二度とラッパなんて吹かないはずだったのが、なぜか高校でもブラバンに入ってしまい、そこでは楽しく過ごした。でも入学したときには楽器なんてもう一生やらないと思っていたので、部の中で唯一美術の授業を選択していた。でも絵は上手くならなかったし、絵を観るのも別に好きではない。絵を楽しめる人がうらやましい。
ここまで書いていて思い出したのだけど、歌モノを聴くようになったのは、今は亡きフライングキッズの「幸せであるように」を聴いてからだったような気がする。浜崎貴司の声と詞はなんか暴力的で、それまでの自分の基準からすると音楽とは違うものだったのだけど、とりあえず 続いてゆくのかな を買って聴き続けた。今思うとバンド全体のリズム感の影響がかなり大きいような気がする。チキンジョージにライブ観に行ったらベースのフセマンがピックで弾いてたのを見て驚いた。ドラムにタムがついてたので驚いた。(そういえば中園さんは神戸出身だとかMCしてたな)なんかじゅんちゃんを除いたオリジナルメンバーで再結成してライブやるらしい。
で「幸せであるように」の歌詞の中に「ママも死んで」という一節があるのだが、ここから「これは絶対に浜崎貴司のお母さんは亡くなっているに違いない」と固く信じこんで、その後「笑っていいとも」に浜崎貴司が出て「うちの母親がどうのこうの」という話をしているのを聴いて、まだご存命であることを知って勝手にショックを受けた。
それから小泉今日子の「あなたに会えてよかった」の「曲」があまりにも良かった(小林武史作曲)ので、友人からCDかりて聞いた「優しい雨」が曲も詞も良くて、でも声がイマイチで、でも、それが妙に正しい感じがして不思議に思った。
そうして気が付いたら、いつのまにかインストはほとんど聴かなくなって、あっちこっちいろんな歌を聴くようになった。歌詞を読むようになった。
音が前で言葉が背景なのか、その逆なのか、同列なのか、それはケースバイケースなわけだが、とりあえず片方だけでは表現不可能なベクトルが表現できてしまうことにいまさら気付いて、かと言っていまからボーカルレッスンに通うわけにもいかず。とりあえず今週末もラッパを吹こう。人には人それぞれの場所があり、私の場所は今のところそこなのだから。

ちなみに「歌の思い出」ってのは 新しき魂の光と道 のトラック13です。今 iTunes で取り込み中。