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終わっちゃいましたね。

スポーツと格闘技

中学生の体育の授業で、武道を選択肢に入れることが必須となるそうですね。とある有名なサイトでわけわからん非難をされてましたので反論しようかなと思ったのですが、反論以前の問題だと思ったのでやめました。本気なのか釣りなのかわからんところがプロらしさなのかもしれん。

剣道の先生方との飲み会で7段の先生が、とある話の途中に「剣道がスポーツかというとちょっと語弊があるけど…」と言われたいたことが気になって「どのへんが違うんですかね?」と伺ってみたのですが、先生も説明できるほど整理されたことではなかったようで、明確な定義はわかりませんでした。

まだ剣道を始めて半年な私の言葉では何の重みもありませんが、スポーツと格闘技の違いというのが何か? ということについて、先日思い当たったのが「起源が娯楽か、生死か」ということでした。

野球やサッカーとかはそもそもボールを投げたり蹴ったりするのが楽しいので、だんだんやる人が増えて、多人数でやるためにルールを決めて、うまい人が現れて、基本が確立して、その後進化して、今や命がけのレベルまで昇華して(硬球が頭部直撃したら死んでもおかしくない)現在の形があると思うわけです。

片や剣道、柔道その他の武道は、自分の都合で他人を殺すことが普通にあった時代に、敵を倒し己を守るために生み出されたものが引き継がれ、洗練され、その後平和な時代が訪れたわけですが、本来の目的が失われても、なおも残ったもので、残った理由は、ゴールがなくなっても、それを目指すプロセスが有効であるためでしょう。

スポーツも格闘技も、歴史があるものはすばらしいと思うのが「初心者が入門する際のプロセスが確立されている」ということです。

まず柔軟体操やランニングで体をほぐしてケガをしないようにする。そして一番の基本動作を徹底して一定期間続ける。剣道だと、最初は面、小手は付けずに素振り、正眼の構えでの前後左右移動、面打ちを延々とやります。その後に胴、小手をつけますが、面はなかなか付けさせてくれません。柔道だと当面受身だけでしょうし、野球だと素振り、キャッチボール、ベースランニングとか。サッカーだとドリブルとサイドキックでのパス回しですかね。

つまり格闘技にしてもスポーツにしても、基礎の基礎を身につけるところまで安全にやるためのプロセスが確立されているところがすばらしいと思うわけです。やってみたけど面白くないから辞める、というのはあっても、やってみたらケガをした、ということが少ないように考えられているわけです。

格闘技もスポーツも、起源を大切にするべきだと思います。剣道で面と小手は当って残心がとれれば一本ですが、胴だけは太刀を振りぬかないと一本になりません。なぜかというと面は入ると死ぬし、小手が入ると手が使用不可能になりますが、胴は当たっただけでは痛いだけなので、切り抜けないといけないわけです。こうして「死」を想う機会があることが「生」について考える得がたい機会となる。私はこの前の日曜に20回以上死んだわけですけど…。

ではスポーツはというと、レベルが上がるにつれ、それこそ命がけのものになってゆくわけですが、もともとは「遊び」から生まれたものだということに立ち戻れば、スポーツマンシップとかフェアプレーの精神とか、そういうものに行き着くのかなと思いますが、残念ながら、私は少年野球も少年サッカーもものすごく中途半端にやめたのでわかりませんすいません。野球やるためにサッカーやめたのは失敗だったと思ってちょっと後悔もしますけど、まあそのおかげで今、音楽や計算機や剣道を楽しめるのでしょう。

と書いてたら「一部の有名格闘家がショーアップされた異種格闘技戦に出ただけで、現代の武道はすでにダメだなんて、短絡的な意見にもほどがある」ということが言いたかったことがわかりました。

剣道で異種格闘技ができないものか。無理だよなー。竹刀じゃ突き以外で倒すのは無理だし突くとマジ死ぬかもしれんし、木刀だとさらにシャレにならんし、しかも防具つけるわけにはいかんから、最初の太刀をかわされたが最後タックルくらって寝かされて鉄拳でタコ殴りにされて救急車ですね。どっちにしても一瞬で終わるでしょう。