ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

アドリブ

アドリブができないというのはどういうことなのかわからなくて、それはどんな感覚なのだろう、と思った。

で、ad-lib について Y!辞書を引いてみた

(略式)[動](-libbed, 〜・bing) (他)〈演説を〉用意なしでする, 〈曲を〉即興で演奏する, 〈せりふを〉即興的に言う.

なるほど、演説、セリフか。そういえばそうだな。

私はもともと吹奏楽出身のラッパ吹きなのですが、なぜか、アドリブというか即興音楽というものの概念が物心ついたころからあったようで、譜面を読みながら「ここはこう吹いたほうがおもしろいかも」とか思いながらも、メロディとかをフェイク(という言葉も知らなかったけど)なぞしようものなら「ふざけるな」と罵声が飛んでくるようなスパルタ系吹奏楽部だったので、悶々としながら譜面通りに吹いていました。バッハとかは、バッハの指の一本(もしくはパイプオルガンのパイプの1本)となる、ということを楽しんだのですが。あれはいじりようがない。というかいじると意味がない。

その後、スパルタ系を辞めた後、なぜかまた吹奏楽部に入ってしまったのですが、こっちはゆるゆる系だったので、スパルタ系で身に付けた技で、メロディをフェイクしたり、他人のメロディに即興でオブリガード吹いて遊んだりしてました。

台本のない演説は、演説者が言いたいことを言う、そこにはゴールがあってそれに向かっていくフレーズを発するのか、演説者自身も見えないゴールに辿り着くために、思いつきを話すのか。

即興のセリフとはどんなときに発せられるのか。役者がある役を演じたとき、共演者やその他の状況から、その役者が演じている彼 or 彼女なら当然言うはずのセリフが台本に書いてなかったときに出るのではないか。

ジャズのアドリブはどっちかというと演説に近いような感じだろうか。「私はこの曲にこんなフレーズをあわせるのがいいと思います」と音で表明する。それは「こう感じるべきだ」などというものはないのだから、手持ちのフレーズで、自分がマリアージュすると思うものをその場でセレクトして出していく。ということはフレーズのボキャブラリがないと、神の啓示とかがないかぎり無理なのか。なるほど、と一人納得。

小学校では昼休みや放課後はずっとクラシックの名曲が流れていた。鬼ごっこや野球やサッカーのBGMが「動物達の謝肉祭」とかだったりしたのだ。それが私のボキャブラリになったのかもしれない。先生ありがとう。

で、いわゆる LL(=私の場合 Ruby) で簡単なスクリプトを書く感覚とアドリブって似てるな、と思って、そっちのほうの考察をしたかったのだけど、眠くなってきたので今日はここまで。