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終わっちゃいましたね。

ハックとは何か?(自問自答編)

ライフハックの後には(笑)をつける派の ksh です。

ハックおよびハッカーというものに対し、単に憧れていましたが、今日はこの言葉の意味について、ちょっと自問自答してみます。

そもそも hack を辞書で引くと、

[動](他) 1 …を(おの・くわなどで)たたき切る, 切り刻む, に切り込みを入れる(up, down, off)  hack ... to pieces [bits] …をめった切りにする

なとどあるわけです。なぜたたき切るのか。

それは、たとえば Ruby Hacker であれば、Ruby のコードを書くとき Ruby について知り尽くしているので、他の人が書くよりも Ruby 的に無駄なく美しく高速なコードを書くでしょう。

ある日、Ruby プログラマが、Ruby で書いたコードが想定外の挙動(バグを含む)をしたり、「自分内の Ruby のあるべき姿」と異なっていたとき、どうするか。

私を含むたいがいの人は、それを避けるコードを書いて、自分の欲しい結果を得るでしょう。

しかし、Ruby Hacker は Ruby の実装を hack して「自分内の Ruby のあるべき姿」と異なる「Ruby の実装」を見つけて、パッチを送るのではないでしょうか。その「Ruby の実装に踏み込む」ということがつまり Hack であり、それができる人が Hacker の称号を受けるにふさわしい人なのだと思いました。

これをライフハック(笑)に置き換えてみましょう。

それは、たとえばライフハッカーであれば、生きるとき、生きることについて知り尽くしているので、他の人が生きるよりも、無駄なく美しく有益な人生を送るでしょう。

ある日、生きていく上で、想定外の事態に巻き込まれたり「自分内の人生のあるべき姿」と異なっていたとき、どうするか。

私を含めて、それを避けるために自分の信念を曲げることもあるでしょう。(それが必ず誤りだとは思いませんし)

しかし、ライフハッカーは自分の生き方を hack して「自分のあるべき姿」と異なる「今の自分」を見つけるか、「自分のあるべき姿」の誤りを見つけ、それを正すのではないでしょうか。その「今の自分」や「自分のあるべき姿」に踏み込む、ということがつまり LifeHack であり、それができる人が LifeHacker の称号を受けるにふさわしい人なのだと思いました。

というわけで、結論としては「hack」「ハック」という言葉が変な方向に走らないで欲しいなあ、という風に個人的に思っています。