ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

Re: 泣きたい、今はただ泣きたい

何かの芸術作品に触れて泣く、というのはものすごくすばらしい体験だと思う。

わたしがいつもラストシーンで泣いてしまうのは、


フィールド・オブ・ドリームス [DVD]


涙ぐんでしまうのは、


ニュー・シネマ・パラダイス [SUPER HI-BIT EDITION] [DVD]


ドライビングMissデイジー デラックス版 [DVD]

すべて映画である。歌とかで思わず涙ぐんでしまうものもないでもない。でも器楽で泣いたことは一度もない…、と思ったが、1曲だけあった。


ワード・オブ・マウス

のラストトラック「John And Mary」

以下、内容に触れますので「続き」にて


泣いた映画が他に無いわけではない。でも上記の3つをわざわざ挙げたのには理由がある。それは「自分自身の体験と重なる部分がほとんどない」ということだ。
例えば、歌を聴いて思わず涙ぐんだりするのは「そういえば、自分もそんなことがあった」と思うときで、それは「自分の中の悲しい記憶を刺激されたから」であって、歌そのものだけが涙を呼んだわけではないと思う。

「フィールドオブドリームス」で「あれを作れば彼はやってくる」という声を聞いた主人公は、何かわからないにも関わらずそれを信じ、行動した。そして彼はやってくる。「ここは天国かい?」「いや違うよ」「そうか…まるで天国のようだ」…そして最後の一言「父さん…、キャッチボールしよう」私の涙腺は止まらない。今書いててウルウルしている。なぜなのか全然わからない。

「ドライビング Miss デイジー」で白人のデイジー夫人と黒人の運転手は長い時間を共に過ごす。白人と黒人という越えがたい壁があった時代(今もあるのかもしれないが)に、彼らは理解しあうのではなく、受け入れあう。なぜかわからないが受け入れあえた彼ら。ラストシーンの婦人の表情の意味は私ごときの筆力では表現不可能である。なぜなのか全然わからない。

ニューシネマパラダイス」は映画好きの少年が街の映画館で成長し、そこで人生の試練に遭遇する。そして時がたち、年をとって、もう戻ることはできなくなった後、すべての真実を知る。切り取られたテープが回る。彼はその人生を苦笑いで受け入れる。それは全然わからない。

きっとこれも「自分の中にある何か」を刺激するものが隠されているから涙すると思うのだが、それは今のところ謎であり、これからもずっと謎でありつづけるだろうと思う。逆に言うと映画とはそんな不思議なことが可能なメディアである。

つまり、私が求めているのは「自分でもなぜ泣いてるのかわからない」体験なのだと思います。ショパン舟歌の美しさで涙が出なくて残念だったというのは、つまりはそういうことです。

ところで、問題のジャコパスの「John And Mary」はそういう涙の出る、唯一の曲です。

ジャコパスは先日のエントリでも書いたように「つまらない最後」を遂げました。私は不勉強なので、このアルバムが出たころのジャコの状況はよく知りません。でも、この曲を聴くと、ジャコの子供に対する愛情がいかにすごいものであったのかと思わずにいられません。

序盤のカリビアンでのどかな雰囲気がフェードアウトすると、そこから美しいストリングスとフルートの音色と子供の笑い声。「とっておきを聴かせてやるよ」といわんばかりの美しいフレットレスベースの音色。そして再度始まるリズムは力強くなってゆく。ジャコ(?)が叫ぶ。それは突然止まったかと思うと転げ落ちるようなストリングスの下降フレーズ、そして寂しく響くガラガラな低音、以上。でいいのか? いったいなぜこんなことになってしまったんだ? 彼は何を思っていたんだ? もうすでにおかしくなっていたのか? それとも自分の未来を悟っていたのか?

全然わかりません。これからもわかることはないでしょう。

私はただ涙するのみです。しかし、これは悲しみの涙だとわかるので、ちょっと違うような気がしますね。

関連エントリ:僕とジャコの浅くて遠い関係 - @Hanadix Reloaded