観
- 作者: 小林秀雄
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1954/09
- メディア: 文庫
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なんかを読んでいる。なんというか、最近仏教に対する興味が日々増してきて、昔読んだこの本の一節の美しさを噛みしめたくてここに引用したりしてみる。
観というのは見るという意味であるが、そこいらのものが、電車だとか、犬ころだとか、そんなものがやたらに見えたところで仕方がない。極楽浄土が見えて来なければいけない。無量寿経というお経に、十六観というものが説かれております。それによりますと極楽浄土というものは、空想するものではない。まざまざと観えて来るものだという。観ると言うことには順序があり、順序を踏んで観る修練を積めば当然見えてくるものだと説くのであります。まず日想観とか水想観とかいうものから始める。日輪に想いを凝らせば、太陽が没しても心には太陽の姿が残るであろう。清冽珠のごとき水を想えば、やがて極楽の宝の池の清澄な水が心に映じて来るであろう。水底にきらめく、色とりどりの砂の一粒一粒も見えて来る。池には七宝の蓮華が咲き乱れ、その数六十億、その一つ一つの葉を見れば、八万四千の葉脈が走り、八万四千の光を発しておる、という具合にやって行って、こんどは、自分が蓮華の上に座っていると想え、蓮華合する想を作し、蓮華開く想を作せ、すると虚空に仏菩薩が遍満する有様を観るだろう、と言うのです。文学的に見てもなかなか美しいお経でありますが、もともとこのお経は、ある絶望した女性のために、仏が平易に説かれたものということになっているので、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いたのはこんな方法ではなかっただろう。
(私の人生観 p.88-89)
いちおう書いておきますと「私の人生観」なんてタイトルになってますが
(中略)
したがって、私の人生観というものをまともにお話することは、うまく行くはずがないから、皆が使っている人生観という言葉についてお話したい。
というわけで、小林秀雄の人生観のお話ではありません。
というか、そもそもなんで私が小林秀雄なんか読むことになったのかというと、高校の教師に「おまえは常識も知らんのか!」と怒鳴られ殴られて、悩んだ末本屋に行ったら
- 作者: 小林秀雄
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1978/11
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が売ってたから、というしょうもないきっかけだったのですが。ちなみにこちらも小林秀雄の常識の話ではなくて、常識という言葉についてのお話で、なかなか興味深いお話でした。