ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

選挙についてもう一回考える

今日は頭が痛いので寝ようと思ったのだが、選挙について、いろいろ思ったことがあったので、忘れないうちに書いてみることにする。

棄権と白票は「おまかせコース」

例えば投票率が50%だとすると、有権者中の投票者の1票の価値は2倍になる。組織票の人は槍が降っても投票に行くが、浮動票な人は雨が降ると行かない。微妙に地盤のある候補者は投票日に雨乞いをしてるに違いない。

地方選挙

うちのよめさんは「中学でも学校給食を」と呼びかけた候補に投票した。やっぱり小さい子やお年寄りが身近にいる身としては、自分の利益を考えると、福祉の充実を掲げる候補に投票したくなる。あと、人によっては地元の景気を良くする為に、国からお金を引っ張ってくる議員に投票っていう考えもあるかもしれない。

参議院選挙

一応前回の衆議院選挙で与党が2/3以上を取ってしまったので、当面の参議院の価値というのはかなり落ちてしまっている。有権者は「この前は自民党に勝たせすぎた」と思ったので、次回の参院選では民主が票を伸ばすのではないか、という話を聞くけど、天邪鬼な私としてはここは一つ自民候補に投票しようかと思う。で参院でも自民勝利の結果、一部派閥が離党なんて展開になると選択肢が増えて個人的にはありがたい。
2大政党制を目指すといっても、自民と民主で何が違うのかわからんし。そもそも現民主の議員の多くは元自民だし、政権担当能力も疑問があるし、自民の中だけでもある程度の多様性がある(だからいろんな派閥がある)ので、衆参とも自民過半数でも問題ないような気もする。公明の位置付けについては微妙に感じる。自民独走の抑止力として必要かもしれないが、そのせいで中途半端な与党になってるような気がしないでもないが、このへんは素人なのでよくわからない。

成功するより失敗しないために民主主義なのではとか

例えば Linux には LinusRuby にはまつもとさんという、すばらしい良い意味での独裁者がいる。Microsoft は Gates が撤退準備を始めたころから面白くなくなったけど、Apple は Jobs が来てから面白くなった。Perl には Larry Wall という教祖様が居る。成功するプロジェクトと優れた独裁者のセットは良く見かける。しかし、それは失敗したプロジェクトが見えないからだと思う。
民主主義は成功するためではなく、失敗しないためのシステムなのだと思う。自分の国の未来や、地域の環境について「とりあえず手続きを踏んで決める」ことで、旧ドイツのナチのような大失敗を避けるのが目的なんじゃないだろうか。
投票したい人がいないという気持ちは非常に理解できる。でも上記のように考えると「良い政治家を選ぶ」のではなく「悪い政治家を選ばない」ぐらいでいいんじゃないだろうか。

「現状にNO」な行動がないなら「現状にYES」と同じ

「現状にNO」という具体的な手段とは白票や棄権ではなく2番手への投票だ。少なくとも、黒い政治屋がいるなら、彼らが最も恐れるのは、これまで投票しなかった人々が、対立候補に一票を投じることだ。そして「現状にNO」を言える有権者がいる選挙区こそが、地盤はないけれどビジョンのある政治家が生まれる可能性を持つ場所じゃないだろうか? そう考えると、もしも私に「すごいビジョン」があって、支援者がいても、投票率が悪い選挙区では組織票には勝てないから、立候補はしないだろうなあ。

おまけ

先日の地方選挙で一番気になったのが、兵庫県議選での掛水すみえさんの再選。掛水さんは元教師なのだが、教壇に立っていたのが私の母校で、兄のクラスの担任だったこともあることと、数年前うちのばあさんが亡くなったとき通夜に来ていただいた(実家が近所なので)という個人的な理由で気にしていたのだが、今回は社民ではなく無所属で出馬での当選であった。おやおや。