ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

日本語と英語とポルトガル語

ola, o meu nome e ksh, muitaz vezes hanadi.

こんにちは ksh です。ところにより hanadi です。

日本語以外で日常生活を行うことは当然ない私ですが、ちょっと技術文書については日本語を読んで戸惑うことがあります。

例えば日本訳で「停止する」と書いていて、もし原文があれば元が "break" なのか "stop" なのか "terminate" なのかが気になったりします。それがわかったから何かメリットがあるかというと具体的に挙げられないのですが、それを知ると何となく「よくわかった」ような気がするのですな。なぜか。もともと日本語の情報が少なかった頃に UNIX に触れていたので、知りたければ読まざるを得ない状況があったせいだろうと思います。ちなみに書く・聞く・話すは全然ダメです。

で、よく読まれた技術文書というのは、おそらく書いた人はネイティブに英語を使わない人が読むことを想定して書いていたと思います。で、文章を誤読させないための技術について、日本語より英語のほうが進んでいるのでは、と感じています。前の仕事ではドイツ人が書いた英語の仕様を読まないといけなかったのですが、辞書片手にわからない単語を調べれば何とかなったのは、そういうことなんじゃないかなと思うわけです。

それに比べて日本語は誤読なしに読ませる文章を書くのがむずかしいように感じます。

で、話は飛んで、小さい頃から洋楽をそこそこ聞く機会があったのに、その歌詞の意味を知りたい、と思ったことがほとんどないのですが、それって最近、自分の中で、英語は「私の好むジャンル」の音楽で使うのに向かないからか? と思ったのですね。

あと、作曲はまあできるのだけど、作詞について絶望的に才能がないのは、生活に使うための日本語のボキャブラリしかないからなのかななどと思ったわけです。

しかし、先日から何度も何度も何度も何度も書いてる Ivan Lins の歌を聞いてると「彼は何を歌ってるのかを知りたい」という欲望がひしひしと湧いてくるのです。

昨夜は寝付けなくて、Love Dance を、ギター片手に練習しましたけど、美しいメロディ・コードプログレッションに余計に目が冴えてしまいました。時間をかけて、聞いてもらえるレベルになりたいと思います。そのときは Love Dance ではなくて、Lembranca で。ちなみに Lembranca を先日買った蘭英辞書で引くと gift; souvenir とのこと。「贈り物」ですね。

歌えるようになったら、ぜひ聴いてくださいね。

boa noite.
おやすみなさい。