ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

スムースジャズとは何なのかちょっと考えてみる。

というわけで、スムースジャズセッションが終わった。私も楽しんだし、参加者のみなさん楽しんでいただいたようで何より。スムースジャズセッションといいながら、スムースジャズとは何か、の定義がないという状態なのだけど、とにかく曲が私好みのものばかりなので問題ない。

本当にスムースジャズをやろうというのなら、それなりにオレ定義した「スムースジャズ」を本当はやるべきだという私の中の人の声も聞こえるので、たぶん実際にはやらないけど、とりあえず定義してみる。

とりあえず思ったのは、進化したモダンジャズに対するアンチテーゼという位置付け。正直、ばりばりにモードなコード進行でテンポ300とか、そういうのが悪いとはもちろん思わないけど、正直そういうのを疲れたときに聞こうとは思わない。演れないし。いつしかの野外ジャズフェスにニューオリンズからやってきた何とかカルテットが、最初から最後までそんな演奏で、どこがテーマなのか全然わからず、ピアノは息をつく間もない16分音符をフォルテシモをかきならし、突然終わったかと思ったらサイドメンのサックスが無理矢理耳に突っ込もうかと言わんばかりにリードをがならせたロングトーンをかき鳴らす。そして16分音符。こんなもんでいいのか、と思っていたら、聴衆は曲が終わった後、おざなりな拍手をバンドに贈った。ステージの彼らは最後までそんな感じで、演奏を終えた後、ハイタッチしてステージを降りていった。我々からすると何しにきたんだという感じだけど、向こうからすると呼ばれたから来たんだよ、というお互いに不幸な時間だったと思う。

別にテンポが速いのが悪いわけじゃないのはチャーリーパーカーが証明してる。あれをやれと言われたらかなり困るけど、聞くには充分に楽しい。というか、なんであんな音の羅列がメロディに聴こえるのか正直不思議だ。本人が意識してたかどうかは知らないけど、そういう音楽が崩壊する一歩手前の見切りが彼の音楽のすごさなのかもしれない。そのかわり本人が崩壊したけど。

モードだって別に特別なものじゃないということを先日知った。とある曲の譜面を書いてて、どうしても普通のスケールでは合わない音が入ってるのに全然問題ないことに気づいて、なるほどこの曲の自然な違和感(←変な言葉だ)にはこういう理屈があるのだと納得した。

しかし、そういうジャズのいろんな要素を一気に取り込んで、はいどうぞ、と言われても、単に混ぜたものなのか、様々な選択の末の一品なのか、とりあえず困惑する段階で、すでにエンターテイメントではないだろう。というわけで、そういうのはスムースジャズではない。と、ここまでまず定義。

しかし、この文章、速いフレーズが吹けない私のコンプレックスが滲み出ててなんかやだね。

とりあえず今日はここまで。