いじめに対する温度差について
いま世間でいろいろいじめに関するニュースがあるわけですが、この話題は、自分がいじめを受けたことがあるか・ないか、また自分に子供がいるか・いないか、でかなり温度差があるのでは?、と改めて感じています。
人力検索の 自分の子供が「自分に対するイジメをインターネットで告発したい」と相談してきたとき、親として賛成しますか?反対しますか? という質問で、賛成する人がいたことについて、軽いショックを受けていたりします。私自身もこの質問に回答していますが(冷静でなかったようで日本語変)これに賛成するということは「お父さんは助けてあげないからネットを使って自分でがんばってね」と言ってるだけだと思うし、そもそも子供が親にこういう質問をするということは子供は「お父さんもお母さんも何もしてくれない側にいる人だからネットの世界で助けてくれる人を探すよ」と言ってるのでは。
Life is beautiful の中島さんは 「自殺する前に伊吹文科相に手紙を書こう」キャンペーン でこう書いておられる。
当然、転校したばかりの私も彼らの標的になり、私が「いじめられっ子」ではないことを証明するまでの最初の1〜2ヶ月間は結構苦労したことを覚えている。
この記述は「いじめられっ子」だった私には相当違和感がありました。大人になった自分が振り返ると、物事をうまくスルーするのが苦手で、かつ体格が貧弱という「いじめられっ子」向きであることを証明する材料しか出てこない。いま私がいじめにあってないのは単に年をとったからだけなんじゃないかという気がします。
意外だったのが弾さんの 404 Blog Not Found -
心の傷を心の胼胝(たこ)に というエントリで、
私自身、さんざんいじめられて育ってきた。
と書かれていたこと。今回これを書くにあたって検索して初めて読んだエントリなのだが、これを読む限り、いじめられてきたことは事実に思える。しかしその後のエントリは、いじめについて、どちらかというと客観的な視点で見ておられるような気がしていました。しかし…
知って読むと、また違うふうに読めてくるのが、私のいいかげんさというかなんというかですね…。
ちなみに、essa さんの アンカテ(Uncategorizable Blog) で 三輪中いじめ事件真相究明オフ などというエントリがあったりして、こちらはもう話がややこしすぎて、ちょっと時間を書けて読んでみるとしよう。
しかし、正直、いじめっ子だった人や、いじめを見ないふりでやり過ごした人たちにとって、いじめによる自殺問題は、比較的どうでもいいことだと思ってるよう感じていて、それは私のような「元いじめられっ子」が、どんなに叫んでも、また「見ないふりでやり過ごされ」て、あまり変わらないような気がしてきました。
せめて、自分の子供は自分で守ります。