ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

ホームページ≠家?

「ホームページを「家」だと誤解する理由はブラウザにある」

IEであれ、ネスケであれFirefoxであれ「ホームページ」を示すアイコンが「家」のアイコンになっているのが「ホームページ=家」をいう誤解を定着させている原因なのではないでしょうか。

を読んで、思わず「ホームページ=家」じゃないの? と脊髄反射的に思ったのですが、他のエントリを読んで、最近話題の無断リンク問題との関連の話かと勝手に解釈。で「ホームページ=客間」ぐらいなのかな。とコメントしたんですが、なんとなく釈然としない。

自分が Web に触れ始めた、おそらく二十世紀もかなり終わりに近づいたころの、あの「ウェブページ≠ホームページ」キャンペーンとかがあったころ、自分の感覚ではホームページは家だった。自分のサイトの index.html は玄関であり、またその玄関を含めてすべてのページは .htaccess ファイルの定義によりアクセス制御が可能だったので、赤の他人も見れるページ、親しい友人のみアクセス可能なページ、自分だけがアクセスするページというのはすべて自分の思い通りで、そういう意味でホームページはまさに我が家の玄関だと思ってました。まあブラウザのホームページ設定は常に about:blank なのですが。

いま Web2.0 とかいうよくわからないものがフィーバーしているようで、世の流れに確実についていけてない自分がいるわけですが、そういう点では Webの進化によっていろんな価値観の変化が起こっていて、推定 Web0.9 ぐらいな私は、ジェネレーションギャップを感じてしまったことをちょっと書いてみたくなったということで、よくわからなくなったのでここまで。

(10/22PM追記)
「ネタなので」とか「意味を理解してください」 とか書いていらっしゃるので、私の「ホームページ=客間」ぐらいなのか?という問いへの回答はいただけなさそうだと感じました。
というわけで、釈然としない想いのぶつけ先がなくなってしまったので、ここに追記してみたりします。

(ホームページ=家、が違うと言い切るのなら、ご自分はどう思われるのかを教えていただきたかったのですが、ネタです発言というオチは正直「がっかりだよ!」でした)

さて、最近のウェブ利用者は、CGM支援ツール(このはてなダイアリーしかり、mixiしかり)の充実により「Webがどのような仕組みでできているのか、知らずに自らのページを作成することができるようになりました。(よいことですね。私もタグ書かなくても日記が書けて幸せです)

わたしとしては、無断リンク可否の議論は、Web1.0的(?)世界観から見ると、しかるべき Referer を伴ったアクセス以外はトップページに強制移動させるなり、エラーとさせるような CGI を作ればよいだけ。それは、もちろん今でも自分で作ればできます。が、現実として自力でそういうのを作るのも面倒なのは確かだと思います。

しかしわたしが「どうあるべきか」と思うかというと、CERNティム・バーナーズ=リー がHTMLを開発した目的は「自分の作ったドキュメントがプラットフォームを越えてたくさんの人から参照可能となる」だったと私は理解していて、それはすなわちアクセスする人の利便を大切にする、ということだと理解していたので、無断リンクディープリンクを禁止するという行為は、そもそも Web の成り立ちを否定しており、それってどうよ?というところです。まあ、そういう成り立ちだから守れといってるんではなくて、その成り立ちを大切にしたいと思っている、ということです。

なんか話が変な方にそれた気もしますが、結局のところいいたいのは、今の Web2.0的ライトユーザーが「ホームページ=家」と考えたとき、何かの手を打たないかぎり、それは全面ガラス張りかつ窓開けっ放しの家なので、それ相応の覚悟(着替えを除かれる、トイレもまる見え、その他…)が必要だし、それははっきりいってコストが合わない。それなら客間だと考えて、誰がいつ来てもいいようにしておいたほうがいいんじゃないの? というのが私の意見です。もちろん、例の騒動の方がこの意見に「なるほど」と納得してくれるとは思ってませんけど。

って、こんなことを日曜の昼間に書いてる俺ってなんかアレですね。上のエントリは心療内科ネタだし。