ブログは死なず、ただ放置されるのみ。

終わっちゃいましたね。

漠然とした不安をリスクと称して深く考えるのは良くない件について

ふと先日、会社の帰りの電車の中で突然悲しい気持ちになって、ぼーっとしていたら、最近あった悲しいことを探している自分に気が付いた。まず感情が先にあって、その理由を探していたのだ。そんな理由を探すことに何の意味もない。

ということが書きたかったのだが、上記の文字数以上言うことがなくて、これだとあんまりなので、ちょっと考えてみたのだけれど、先日までの私がそうで、他の人も多分そういうことがあるのだと思うことを少し。

まずは喜びとか怒りとか哀しみとか楽しみとか、そういう感情が先に出ることがある。ことがある、と書いたが実はそっちの方が多いのじゃないかと思い始めている。

仕事の進み具合を整理してみると、なんとなく根拠のない不安がよぎる。はて、これは隠れた問題があるに違いない。問題はどこだ。答えは「全然問題無い」と「全部問題」の間にある。たまに外にあることもあるけど例外としていいだろう。(例:突然プロジェクトの中断命令が下る)

この漠然とした不安に対抗するには、根拠のなくスケジュール上にバッファを乗せることが最善の策だと思うのだが、現実問題としてそういうことをするといろいろ面倒なことになるので、いろんなところに分散して見えないように隠したりして貯金するのだが、そういうことをする時間がそもそも生産性低下の要因なのだ。だけど、そんなことは発注元の人には関係ない。それはそうだ。仕様さえちゃんと決めてくれればだが。